2025.8.1

対話理論

専門家の防衛反応は「努力」として現れる~心の奥に潜む本当の動機~

誰かに大切なことを伝えようとするとき、
人は膨大な情報を集め、洗練された構成を考え、丁寧な資料を作り上げる。

それは誠実な姿勢であり、学びや努力の結晶と言えそうです。
相手の理解を願い、誤解のないように、できる限りの配慮を尽くす。

しかし、ときにそこに“伝えることが目的ではない別の動機”が潜んでいることがありえます。


1. かってほしいのか、わかってほしくないのか

たとえば、ある専門的な理論を伝える場面を想像してみましょう。
理論の本質を正しく伝えるため、背景や文脈、前提条件に多くの時間を割く。
結果として資料は分厚くなり、語る言葉は専門的な深さを増していきます。

それは一見、「相手に理解してほしい」という純粋な意図に見えます。
でも、その丁寧さの奥に、別の前提が潜んでいる可能性があります。

「わかりやすくしすぎると、自分の専門性が軽く見られるかもしれない」
「深く理解されるより、“よくわからないけどすごい”と思われたほうが安心だ」

つまり、「わかってもらいたい」と「わかってほしくない」が同居している状態です。

2. 防衛反応としての“努力”

このようなとき、人は「もっと丁寧に伝えなければ」「誤解されないように」と、
さらに資料を整え、言葉を磨き、構造を重ねます。

その努力が過剰になっていくと、いつしか相手にとって「届かない言葉」になってしまう

そして、もし誰もがひそかに思い始めるーー。

「これって、わかりやすくする気がないんじゃない?」
「本当は、わかってほしくないのかもね」

その指摘は、とても痛い。
だから多くの場合、人は理路整然と反論する。

「この理論は表層的な理解では意味がないんです」
「ちゃんと踏み込まないと逆効果です」
「だから、ここまで丁寧に説明してるんです」

確かに、その言葉に嘘はない。本心です。
でも、それは「防衛反応」である可能性があります。

3. 本当に守りたかったもの

防衛反応は、単に否定や怒りとして現れるわけではありません。
過剰な説明、完璧な準備、専門的な言葉の選択――
そうした一見“前向きな行動”の裏にも、
「自分を守りたい」「不安を感じたくない」という小さな動機が潜んでいる。

その奥には、こんな願いがあるかもしれない。

「まだ未熟に見られたくない」
「誰かに支えてほしい」
「不安な気持ちを打ち明けられるほど、まだ余裕がない」

そうした奥なる願いに気づくことができたとき、
人は初めて、「自分がどう思われるか?」ではなく、
「なんのためにこれを伝えたいのか」を問うことができる

4. 専門性と開かれた姿勢を両立させる。

本当に伝えたいことがあるとき、最初からすべてを説明しきる必要はありません。
まずは、相手がふと「面白い」と思えるような入り口を用意する。
そこから少しずつ、対話の中で深めていけばいい。

正しい情報を詰め込むより、問いを残すこと。
専門性を主張するより、共感を手渡すこと。

それは「自分だけが分かっていたい自分」から「共に考える自分」への変化かもしれない。

防衛反応は無意識のものです。
その姿はしばしば「正しさ」や「努力」に見え、他人はそれを疑おうとしません。

けれど、ふと違和感を感じた誰かの小さな一言が、
自分の奥に隠れている防衛反応的「前提」に刺激を与えるときがあります。

その刺激を素直に受け入れて、自分の内面を深ぼってみるとき、
新しい自分、他者に対してより開かれた自分が現れる

積み上げた専門性と開かれた姿勢。
それを両立できる人材は、これからの時代、どこに行っても活躍できる人材だと思います。

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